Wednesday, January 11, 2012

Serpentine Gallery Pavilion 2011

Posted 30 Sept 2011 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk

The Serpentine Gallery Pavilion 2011
Architect: Peter Zumthor
Garden Design: Piet Oudolf

The pavilion gave us an extra ordinal impression, partly because of the contrast between outside and inside space. The corridor to the garden provided the time for us to develop expectation in the complete darkness until we reach to the garden, which was utterly a heaven on earth.

"The concept for this year’s Pavilion is the hortus conclusus, a contemplative room, a garden within a garden. One enters the building from the lawn and begins the transition into the central garden, a place abstracted from the world of noise and traffic and the smells of London – an interior space within which to sit, to walk, to observe the flowers."





1907 ... After the Party

Posted 28/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd www.studiolasso.co.uk

"1907 ... After the Party" -Fron 11th Venezia Architecture Biennale





なんとも不思議な空間である。このベルギー館の展示は、7メートルのガルバナイズド・スティールの壁-あた かも建築の外壁のような-を設けることにより、エクステリアスペースがインテリアスペースとして機能する可能性=Inversion(倒置)を示唆したも のである。7mという外壁が知覚に訴えるものは、自分が建築の外部空間にいるのか、内部空間にいるのか、両者が同時に交錯するような奇妙な感覚であった。

床 に散りばめられた紙片と、無造作に置かれた実体の薄い椅子たちが、「外と中」のインタラクションを強調し、「外にあるべきもの」と「内にあるべきもの」の 既成概念を剥いでいくかのようである。床を埋め尽くす七色の紙片は、「アフター・ザ・パーティー=祭りのあと」という賑やかさの余韻=空虚さの暗喩であっ たのだろうか。


“The project is a tribute to the historical pavilion and puts it on show in its purest form as a monument, accessible from all sides, empty and stripped of all secondary additions. This is achieved by means of a seven-metre-high double-walled facade in galvanised steel which does not allow the visitor an initial view from the promenade. This architecture, which looks both solid and filigreed, provides the setting, like a new pavilion, for what is being exhibited, which is the architecture of the existing Belgian pavilion. Between the building and the added facades, the existing rooms and the new patio, there is an emphatic interaction between and inversion of the interior and exterior spaces. This impression is enhanced by the confetti scattered around the site and the randomly positioned chairs. “


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Exhibition Title: 1907 ... After the Party
Exhibition Venue: Belgian Pavilion
Exhibitors: Office Kersten Geers David Van Severen (Brussels)
Commissioner: Morits Kung

Athens by Sound

Posted 27/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk

Athens by Sound -From 11th Venezia Architecture Biennnale

このギリシャ館の展示もビエンナーレの全体テーマに対してひとつのユニークな解答を提示したものである。

こ こでは、来館者が自身の体験により「音」によってアテネの街を再構築するというもので、会場には真っ暗な中に無数のヘッドホンが吊るされている。ビジター はこのヘッドホンの森の中で、音の断片とスクリーンに映されるヴィジュアル・シークエンスを頼りにイメージのなかでアテネの地図を描いていく。 




ヴィジターは会場を歩きながら、自身のムーヴメントによってイメージを再構築していく。

"This walk in the pavilion, takes you 'out there', through invisible Athes. The pavilion actually brings forth the beyond-the-material, the beyond-the built, the almost unreachable, elusive aspects of space, such as sound, the non-visible senses, the atmosphere. It thus challenges the limits of architecture, the limits of what can be mapped and re-located and what cannot..."

「物質を超えた建築」 を提唱するこのエクシビションは、フラグメンタルかつインタラクティヴな要素:音、目に見えない感覚、空気感によって建築を捕らえなおそうとする試みであ る。

これもまた、我々が自分自身を閉じ込めている既成概念を超えていくひとつの可能性を示唆してくれた展示であったと言えるのではないだ ろうか。


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Exhibition Title: Athens by Sound
Exhibition Venue: Greece Pavilion
Commissioner: Anastasia Karandinou, Christina Achtypi, Stylianos Giamarelos
Curator: Anastasia Karandinou

Exploration of Socio-Technical Boundaries

Posted 25/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk

Exploration of Socio-Technical Boundaries: From 11th Venezia Architecture Biennale

これは思わず「おおーーーーっ」と声を上げずにはいられないような、文字通り度肝を抜かれた展示である。特にベ ネズエラ館での展示だったので、最初入ったときは「ベネズエラにこんなテクノロジーがあったとは!」と仰天したのだが、実はベネズエラ館を借りてのスイス の建築家グループのエクシビションであった。

この展示も、Architecture Beyond Buildingという全体テーマに対するひとつの明快なヴィジョンを提示している:

Architecture is an inherent part of every society. It is an indicator of political, economic, technological and cultural conditions, as with as their change. The sphere of functin and the professional image of the architect undergo regular reintrpretations in rhythm with these transformations of context, as is currently manifest in very different places.






人間の手で積むなら、すごい職人芸なわけだが実はプログラムをインプットされたロボットがどんどんブリック を積んでいく。職人だったら何年も何十年もかかるような芸当をテクノロジーがやってのけているわけである。この映像では、プログラムを組み込まれたロボッ トが高度な技術を要する仕事をしていて、人間が接着剤を塗るという単純作業をやらされているということがまた面白く、アイロニカルである。


今もって謎なのだが、このブリックワークはモルタルで固めてるわけでもなく、映像で見ても強力接着剤?みた いなもので2箇所くらいとめてるだけなのである。この強度はいかほどのものなのか、パブリックスペースで使えるのか!?など色々気になってしまった。
因 みにブリックワーク(レンガ積み)はイギリスのお家芸で、彼らは何でもかんでもブリックワークに頼りたがるが、こういうイノベイティヴなものは英国では殆 ど見かけない。


以下は同様のテクノロジーを用いた他のマテリアルによる展示である。(映像のみ)


 

レンガという数千年も前から使われている古い建築材料を用いて、アート、デザイン、リサーチ、テクノロジー のクロス・バウンダリーによりこのような作品が生み出されることは驚きのあまりであり、そのトランスフォーメンションの可能性は他のマテリアルへの応用を 見る限り無限大であるといわざるを得ない。

館内では上に掲載したビデオクリップのような、製造過程の映像が紹介されており、私はここで数 時間をあっけにとられて過ごし、貴重なデジタルカメラのバッテリーの殆どを消費してしまった。(笑) 「リインタープリテーション・アンド・トランス フォーメーション」の知的生産技術こそが明日をつくりかえていくという、ひとつの例を見せつけられた嬉しい瞬間であった。


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Exhibition Title: Explorations Teaching, Design, Research
Exhibition Venue: Venezela Pavilion
Commissioner: Urs Staub
Curator: Reto Geiser
Exhibitor: Laboratoire dela production d'architecture(LAPA)
Ecole Poly technique Federale deLausanne(EPFL)
Harry Gugger
Aterlier de ;a conception de L'espace(ALICE) etc.

Architecture as Spatial Measure Machines

Posted 20/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd www.studiolasso.co.uk

Architecture as Spatial Measure Machines -From 11th Venezia Architecture Biennale

これは今回の建築ビエンナーレで私がびっくりさせられた展示のひ とつである。ハンガリー館での展示だが、これも実はコンペを勝ち抜いた日本の建築家の作品であった。





Corpora in Sighteと題するこのプロジェクトは、広域なエリアに多数のセンサーを敷設したメッシュネットワークを形成し、リアルタイムの環境情報(気温、明る さ、風向き、風速、ノイズ=人々の活動etc)を収集・集積し、そのデータ解析をもとに特殊なノーテーションシステムによって構造化される不可視の建築 が、リアルタイム・コンピューティングによって館内・野外に生体のように成長または減退しながら生成変化していくというものである。

この プロジェクトはdoubleNegatives Architectureによって2007年10月から2008年1月に山口情報芸術センター(YCMA)で展示され、メディアテクノロジーを駆使した新 しい建築展として国内外から大きな注目を集めた。メディアテクノロジーを積極的に取り込む新しいスタイルの建築グループdoubleNegatives Architectureは、建築家市川創太氏を中心とする複数の国際的メンバーで構成されている。今回のハンガリー館参加の経緯は、コアメンバーのプロ グラマー、アコシュ・マーロイがハンガリー出身であることから、ハンガリー人キュレーター、ジュラ・ユリウスをコミッショナーとしてハンガリー館でのプロ ジェクト候補に選ばれたというものである。


このプロジェクトで興味深いのは、リアルタイムに変化する環境情報としての建築が構想 されている点である。ここでは、平面図、立面図、パースなどの既存の空間表記法を超えて、人間の身体感覚に備わっていない空間知覚をソフトウェアが補うこ とによって、複数の全方向主観視点から同時に捉えられた建築形態が瞬時に決定されていく。

タイトルに"Architecture as Spatial Measure Machine"とあるように、doubleNegatives Architectureでは、空間を計測する装置・プロセスとして「建築」を位置づけ、空間ノーテーションを提示するインスタレーションから3次元音響 システムを使った音の建築などへとプロジェクトを展開している。

建築のみならずランドスケープの新しい可能性を垣間見せるような前衛的エ クシビションであったが、今後特に「音の建築」については、自分のなかのテーマと重ね合わせながら、彼らの活動に注目していきたいと思っている。

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出展タイトル:コーポラ・イン・サイト
出展場所:ハンガリーパビリオン(ジャルディーニ地区)
コミッ ショナー:ジュラ・ユリウス
出展者:ダフルネガティヴス・アーキテクチャー http://doublenegatives.jp/
協 力:山口情報芸術センター(YCAM)

参考文献:山口情報芸術センタープレスリリース 

Ambiguous Landscape




Posted 19/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd www.studiolasso.co.uk

"Extreme Nature: Landscape of Ambiguous Space" from 11th Venezia Arcitecture Biennale

今回11回目を数える建築ビエンナーレでは"Out there: Architecture beyond Building"という、単なる建物の建設を超えてアーキテクチャーを捉え直そうという全体テーマに対し、招待建築家、出展各国がそれぞれにレスポンス したものであった。

私は2日間で2つの会場を鬼のように見て回りへとへとになったが、国によっては最近のメジャーな建築を展示しただけで 終わってしまったところもあり、アッと驚くようなコンセプトやテクノロジーを披露したところもあり、それぞれの国の建築の進化度?のようなものを示してい てとても興味深かった。

その中でも、"Extreme Nature: Landscape of Ambiguous Space"と題する日本パビリオンの出展は、次世代の建築のあり方を示唆する1歩先んじた出展であったように思う。ランドスケープの立場からも、建築と の関係を捉え直すという意味において考えるところが多かった。


日本館の中に足を踏み入れると、そこは白いエンプティな空間で、壁 に近寄ってみるとおぼろげで繊細な鉛筆描きのドローイングがびっしりと書き込まれている。 



  
石上氏のアプローチは、ランドスケープと建築の境界をどこまでも曖昧にするというもので、「建築を計画する ように風景を考えていき、同時に、風景をつくるように建築をつくっていく」という考え方を基盤としている。この考え方は、ここでも紹介されている氏 の"Lake Project"に顕著に見られるものである。

レイク・プロジェクトは具体的には、湖岸や湖底の地形を少しずつ変形させて いくことで、刻々と移り変わっていく湖のかたちをつくることを意図したものであるらしい。つまり、ゆるやかな関係性がゆるやかに景色を変化させてゆき、そ のゆったりとした動きが音もなく移り変わってゆく季節の流れのようななかに静かに溶け込んでゆく空間を目指したものである。





 
建築の外部空間には石上純也氏設計による4つの温室が置かれている。

 

以下は石上純也氏による言葉である。

「それぞれの温室は、すごく華奢な柱と薄いガラスでつ くられていて、計画される環境に応じて空間のプロポーションや柱の数などが異なります。そのプロポーションや周辺に合わせて、熱帯植物を温室の中に、生け 花を生けるように配置していきます。植物の密度は、建築がつくりだす空間と植物がつくりだす空間、そして周囲の風景とが等価になるように、厳密にバランス を調整しながら決められます。また、温室どうしの関係性が既存のランドスケープの中に新しい空間をつくっていきます。空間をつくるとこと風景をつくること を限りなくあいまいにしていくことで、これまでにない建築の可能性を考えようとしています。」

「また、温室とはいっても設備的なものを利 用して大々的に環境を変えていくのではなく、シャボン玉の膜のように薄いガラスに包まれることによって、そこの場所にある環境に少しゆらぎを与えて、 ちょっと環境を変えます。そうすることで、植物の多様性は劇的にひろがっていきます。」

「草花の茎や木の幹のように華奢な柱とシャボン玉 のように薄いガラスによって、既存の公園がつくり出す環境と建築が生み出す空間をどこまでも曖昧にしていけないかと思っています。」


最 後となったが、日本館展示のコミッショナーである五十嵐太郎氏による展示コンセプトを紹介する。「二重化された曖昧な風景」「あらゆるものが同時に存在し ていることを認識する空間の状態」など、これは日本本来の空間特性に根ざした、新しい世紀の建築の「始まり」を示唆する展示ではなかっただろうか。

> 日本館の内部はほぼ空っぽとなり、本来の美しい空間があらわになる。一方、まわりでは温室を点在させることで、外部空間をインテリア・ランドスケープのよ うに構成していく。だが、オブジェとしての建築の反転がヴォイドとしての外部空間を生むのではない。建築のファサードが外部を規定するのでもない。エーテ ルの充満したかのような透明なヴォリュームの温室の内部空間が、外部空間を意識させる。だが、そこには家具が置かれ、室内のようでもある。日本館そのもの も、「建築」というよりは、人工的な地形、あるいは「環境」の要素のひとつとしての見立てを行なう。もともとの屋外空間と、ガラスに包まれた華奢な鉄骨の 構造体のあいだに生まれる空間も重なりあう。二重化された曖昧な風景がたちあらわれる。それは内外の植物、家具、建築、地形、環境など、あらゆるものが同 時に存在していることを認識する空間の状態を生むだろう。 (五十嵐太郎)

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日 本パビリオン(ジャルディーニ地区)
展示テーマ:EXTREME NATURE: Landscape of Ambiguous Spaces
コ ミッショナー:五十嵐太郎(建築批評家、東北大学准教授)
参加作家:石上純也(建築家)、大場秀章(植物学者)


Towards Paradise Garden

Posted 19/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk

昨年訪れたヴェネツィア・アーキテクチャー・ビエンナーレより

"Towards Paradise Garden"は、コンテンポラリー・アレゴリー(寓話)として、死から生へ、そしてパラダイスへと導かれる道程を描いたものである。
これは11 回目を数えるベネツィア建築ビエンナーレに於いてはじめての屋外展示であり、イギリスを拠点とするキャサリン・グスタフソンが彼女特有の美しいアースワー クを披露した作品であった。






 最近「パラダイス」という概念について色々と考えていたところだったので、ここに見られる「パラダイス」の 解釈、そして空間への表現を興味深く思った。アースマウンドに取り囲まれたスペース-まるで胎内のような-で眠ったらどんな感覚なのだろうと思い、しばら くこのソファが空くのを待っていたのだが、そのうち鼾が聞こえてきたので(笑)、諦めて立ち去った。
 

"We believe in meaningful landscapes that connect body, mind and soul with a physical and cultural environment. Landscape focused and intensifies the experience of time and place. It is a necessary feature of our built environments as well as an act of social and cultural expression.
Our work is rooted in a specific time and place; it is a careful and inspired consideration of both the spaces and the systems that link us together as cultures, or ecologies on a shared planet."

これはキャサリン・ グスタフソンのマニフェストからの一文である。空間に時間という4次元のダイメンションを導入する手法については様々な試みがなされるなかで、ここでは生 と死、という大きな時間の概念のなかで魂をカルティベイトする場としてのパラダイスを考えた、という点が興味深い。つまりパラダイスをかたちで捉えずに魂 の成長の過程(もしくは終局点?)として表現したということである。

今回の建築ビエンナーレでは環境的なアプローチが目立ち、これに続い てここでは主にそうしたアプローチにフォーカスを当ててみたいと思うが、キャサリン・グスタフソンのランドスケープは逆に建築的、彫刻的なアプローチで あったと言えるかもしれない。今後ますます2者のクロス・ボーダーがすすんでいく、というよりは境界が取り払われていくのかもしれない、という予感を抱か されたエクシビションであった。






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Exhibition Title: Towards Paradise Garden
Exhibition Venue: Arsenale
Exhibitor: Gustafson Poter Ltd and Gustafson Guthrie Nichl Ltd

Collaboration for Music Garden

Posted 18/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk


最近英国在住の武満ファンが組織するTakemitsu Societyなるものに入会した。この会は武満徹の死後彼の作品や人となりを忍ぶことを目的として設立されたもので、会員はミュージシャンをはじめ様々 な職業の人からなる一風変った集まりである。

ロンドンに来て何年かたってから武満徹の音楽を聞いたとき、これは空間でいえば 間=Silenceを表現した音楽ではないかと思った。日本の空間が「間」を主役とし、間を饒舌に語らせることを重要と考えるように、武満の音楽はいかに 音と音の間の無音の音を響かせるか、深い沈黙の音を奏でるかということのために書かれた音楽であるような気がした。

武満の音楽は実際ヴィ ジュルイメージを喚起するもので、私も数年前の国際コンペに出展した作品にて武満徹の音楽を空間デザインに翻訳しようと試みたことがある。最近知ったこと なのだが、武満のある曲は彼自身日本庭園の「間」を意識し、それをモチーフとして作曲していたらしい。

つい先日のことなのだがタケミツ・ ソサエティー会員のイギリス人の作曲家の方から、一緒にミュージック・ガーデンをつくらないか、というお話をいただいた。「ミュージックガーデンというの は、ミュージックなのか、ガーデンなのか?」と聞いたところ、ミュージックによるガーデン、つまりミュージックなのだという返事であった。このコラボレー ション・プロジェクトはまだ始まっていないが、武満徹をより深く識る機会となるのではないかと思い、こころ楽しみにしている。

いつの日か 武満徹の珠玉の一遍”Rain Tree Sketch”を庭園として描くことは、私にとってはひとつの見果てぬ夢である。


Link to:
BBC World Visionaries -Toru Takemitsu

Mark Rothko at Tate Modern

Posted 13/01/2009 by Haruko Seki /  Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk

                                           Black Painting in Rothko Chapel

テート・モダンのロスコ展に行ってきたこれはテートモダンの今年の目玉で、いつもアッと思ったと きにはマスト・エクシビションを逃してしまう私にしては余裕(でもないか)のセーフ、2月1日までまだ日があるからもう一度行ってこよう。

も ともとテート・モダンにはかのシーグラム・コレクションから数点を引き受けたロスコ・ルームがあったのだが、今回世界4箇所に分散した作品を一堂、ではな かったが14点集めての史上初のエクシビションとなった。日本の川村美術館からも数点貸し出され、ロンドンのあと日本に巡回するという噂もある。今回のエ クシビションではシーグラム・コレクションを中心にロスコの晩年の作品を集めたため、黒を基調とした作品が多かった。この展覧会のクライマックスは、黒の 中の黒を描いた作品ではなかったろうか。漆黒の黒。この吸い込まれそうな黒の大画面の迫力に圧倒されたあとには、他の作品はどれもここに至る習作のように 思えた。

ロスコの不思議な絵は、初めて目にしたときから私を捉えて離さないものだが、彼の作品が持つ詩情、崇高な雰囲気は何のためなの か、一見単純な矩形と少ない色から構成されるものであるだけに、誰もがその謎を解き明かしたい衝動に駆られる。
今回のエクシビションカタログで、 ロスコの絵のクロス・セクションを発見したときには思わず手を打って喜んでしまった。「さあすが、マニアックイギリス人、やるな~~」というかんじ、拍手 喝采。クロス・セクションだけではない。顕微鏡で断面図を解析したのちには、そのレイヤーを構成する成分の全てを表に書き出している。ここまでやるか!日 本の文献でここまで技法を徹底的に分析したものは未だかつて見たことがない。

ロスコは顔料も自分で調合していたと言われているが、一見単 色に見える色面の奥には多重な顔料の重なりがあり、多層構造となって画面に奥行きと深みを与えている。全てのレイヤー構成と筆の筆致にロスコの意思がこめ られているかのようである。ロスコの作品が平面として知覚されにくく、画面に吸い込まれそうな深さと奥行きをかんじさせるのは、画面のレイヤーばかりでな く色彩対比や矩形バランスなどの心理学を多様していたのかもしれない。

ロスコはこの黒のシリーズのあとに行き詰って自殺したといわれてい るが、果たしてそうだったのだろうか。この黒の中の漆黒の黒、この作品を描いたときには、もう彼は今生で追及したことを極めてしまったのではないかと私は 思う。画家として捧げた人生であったなら、そのときが自分で終止符を打つ最高のタイミングであることを彼は知っていたのではないだろうか。


Mark Rothko at Tate Modern–one of the biggest and “must “exhibition of the year; I was strongly impressed by the Pure Black he draw in the Black, I felt that the series of Black painting must be the highlight of this exhibition; gazing at the paintings for a while, I felt like I was absorbed in this black space behind the canvas, and that another previous painting looks like just studies for the master piece.

Rothko’s mysterious painting had strongly struck and caught me when I came across his work long years ago. I am not the exception who wanted to know the secret of the atmosphere of his works; poetic and sublime particularly as they are drawn in simple rectangular form and a few pallets of colours.
I cannot help clapping my hands when I found the cross-section of his paintings in the exhibition catalogue! It is not only showing cross-section, but they have listed up all the ingredients he used on the painting after analysing its section by microscope.

There are various types of layer behind the surface, which gives sense of depth and spread in his works. All the touches he left on the campus must have expressed his intentions. He might take account some psychological effect of colour contrast and ratio of rectangular as his works are hardly perceived as mere surface, showing a certain depth for which we feel like as if we were absorbed into the space.

Rothko is known as committed suicide after drawing up black series, because he stack and get depress of his way of expression, but I personally doubt about this. When he draw up this painting “Black in Black”, he must had reached to the ultimate point he was aiming at in his life, and he must know this was the best timing to finish his life if he devote it all as an artist.

LED or Iincandescent Bulb?

Posted 08/01/2009 by Haruko Seki / Studio Lasso Ltd  www.studiolasso.co.uk






クリスマスシーズンに街を飾るイルミネーション。写真は今年 のロンドンはリージェントストリート、ホテルリッツ、サイエンスミュージアム前広場のものである。

東京に帰る度に街がLEDの冷たい光に 埋め尽くされていくことに驚愕していたが、その波はついにロンドンにもやってきた。私見だが、東京にはLEDが似合ってもロンドンには似合わない。色は東 京のどぎつさに比べれば抑え目にしているが、田舎っぽいロンドンにはやはり白熱電球の暖かいぼんやりした光が似合う、と私は思う。光はやっぱり暖かくな くっちゃ。という理由で家で使う電球も全て白熱電球にしている。蛍光灯は長持ちするけど、冷たい青白い光が嫌い。

しかしながら、地球温暖 化阻止のために白熱電球製造中止の方向にあるという記事を見つけて愕然。。そんなバカな!地球温暖化を出されてきたらグウの音も出ないではない か!LED>蛍光灯>白熱電球 これは効率の良い順+光が冷たい順。暖かいものは効率が悪いのである。効率が悪いという理由で暖かいものが排除されていっ ていいのか?光は大事なのである。そのうちLEDで世界中の街が埋め尽くされるときには、人の心もLEDの氷の光のように冷たくなってしまうに違いない。


Those images shows Christmas illumination this year in London; Regent Street, Hotel Rits, The square of Science Museum.
Every time I go back to Tokyo, I was amazed LED light seemed to getting popular and we see everywhere it’s strong and cold lights. Recent years the trend has finally arrived in London, in spite of the fact that it doesn’t match to the atmosphere of this town. Even though the colours are less strong than the one in Tokyo, I prefer having warm and ambiguous lights of incandescent bulbs here in London. I don’t use fluorescent lamp at home, it is efficient but colder than bulb light, I like warm light.

Nevertheless, because of the fact of global warming it is announced that the bulb lights will be no more produced – I was so shocked to hear the news! LED> Fluorescent Lamp>Bulb Light; this is in order of efficiency and coldness in light. Warmness means inefficiency. I wonder if it is quite right the efficiency conquer the warmness because of its in-efficiency? The light is important. One day LED light conquer the world, human’s heart must be colder like LED light.